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イタリアでアパートを見つけるまで


もう5年以上も前のことになりますが、私がリヴォルノでアパートを見つけるまでのことを書こうと思います。


私がリヴォルノに来て、最初に住んでいたのは、学校が手配してくれた共同アパートでした。
そこではイタリア人の家主と、同じ学校に通う他の外国人生徒数人と、一緒に共同生活をしていました。
それまで日本で10年近くもの間ずっとひとり暮らしをしていたこともあったのでしょうか、大勢で一緒に生活するということは、私にとって大変窮屈なものでした。
一応個室ではあったのですが、部屋にいるのかいないのか、何をしているのか、どこへ行ってきたのか、常に見られているような気分でした。それに、大家が週末にフェスタをするときには、早く寝たい日も参加しなければならなく、したくないことに付き合わされることにも苦痛でした。
また、私はどうもこのイタリア人の大家のことが好きになれませんでした。彼も私のことを、好きではなかったと思います。
それに、学校でも家でも、他の外国人生徒と一緒というのは、人間関係の輪が狭くなるような気がしていました。もっと地元に密着した暮らしがしたい!!
そういうわけで、この居心地の悪い生活が始まって、私はすぐにひとり暮らしをすることを考え始めていました。

季節はちょうど8月、イタリア中がヴァカンツァで止まっていました。
仕方がないので、とりあえず9月になるまで待つことにしました。
この共同アパートには12月までということで学校と約束をしていましたが、家賃は月払いでした。
私はなんとか9月中には、次のアパートを決めたい気持ちでいっぱいでした。

9月に入り、町の不動産会社の張り紙などをチェックしたりして、家を探し始めました。
注意して見てみると、町には不動産会社がたくさんありました。でも、たくさんありすぎて、どこにいったらいいのか困りました。
また、日本人がひとりで突然訪ねたところで、まともに話を聞いてもらえるとも思いませんでした。
そんな折、学校主宰のフェスタに参加していたイタリア人のひとりが不動産関係に詳しいみたいよ、と、あるクラスメートから聞いて、さっそくその人に電話をしてみることにしました。
その人から、今度は知り合いの不動産会社を紹介してもらい、いよいよ本格的な家探しです。

家を探し始めてからも、学校には私が家を探していることをひた隠しにしていました。
それは、学校に知れてしまうと、学校と通じている大家にも、私がアパートを出ようとしていることが知れてしまう・・・・ただでさえ大家とは相性が悪いのに、これ以上居心地が悪くなったら・・・家が決まって、共同アパートを出るときに、学校に言うほうがいいと思いました。
だから、不動産会社の人にも事情を話して、私に連絡を入れるときに不動産会社の名前を言わないで個人名でお願いします、と言っておきました。

そんな9月に入ったある日、私が「もう絶対に引っ越したい!」と思った、ある事件が起こりました。
その日曜日の夜、私と何人かのクラスメートで、ルッカへ光祭りを見に行きました。
大家には「遅くなるから、もしかしたら駅の近くにあるクラスメートの部屋で泊めてもらうかも」と言ってありました。
そして結局その夜は遅くなり、リヴォルノの駅に着いた頃にはもう、チェントロへの最終バスはとっくに出てしまったあとでした。
でも幸い、クラスメートのひとりが、イタリア人の友人に電話をして、駅まで迎えにきてもらうことができました。
私もその車に便乗させてもらい、無事帰着。
深夜遅く、そーっと音を立てないようにアパートのドアを開け、自分の部屋へ・・・
・・・そこで私が見たものは・・・
なんと、大家が私のベッドに横になって、真っ暗な部屋でテレビを見ていたのです。
彼は私が帰ってきたことに気付くと、そそくさとテレビを持って部屋を出て行きましたが・・・・。
もう、限界です。
翌日から、家探しに熱が入ったことは言うまでもありません。

「いい物件があるよ」と、不動産会社から連絡が入る度に待ち合わせをして、いろんな家を見に行きました。
部屋は気に入ったけれど町の外れで治安がよくなかったり、
庭付きアパルタメントの1階だったり(空き巣に入られやすい)、
大家さんの家の敷地内にある離れの部屋だったり(干渉されそう)、
夏の間だけ使う海沿いの別荘だったり(夏は使いたいので6月までしか貸せないという大家さんの希望)、
・・・いろんな家がありました。
ちょっとお宅拝見みたいで、楽しかったです。

大家さんにも、いろんな人がいました。
サルデーニア島へ移住してアグリツーリズモを始める予定なので、今まで住んでいたリヴォルノの家はそっくりそのまま明日から住める状態でお貸しします、という人もいました。

いろいろな家を見たり、アドバイスを受けているうちに、だんだん希望の条件もはっきりとしてきました。
まずはチェントロから徒歩圏内であること。
夜遅くなっても人通りの少ない道を通ることなく帰ることのできる場所にあること。
それから、冷蔵庫と洗濯機は必ずあること。(できればオーブンも)
暖房はあるのか、水道代や光熱費はどのようにするのか、などは必ず聞くようにしました。
おかげで、不動産に関するイタリア語もだいたいはわかるようになりました。

また、大家さんの人柄も重要なチェックポイント。
日本人の多いフィレンツェには日本人を狙った悪徳大家がいると聞きます。因縁をつけられ、保証金を返してもらえずに泣き寝入りをしたまま日本に帰国してしまうケースもあるよう・・・。

結局私が家を決めたのも、最終的には大家の人柄が決め手でした。

大家のダニエラには私と同い年の娘がいて、一目見るなり私のことをすごく気に入ってくれました。
世話好きなマンマといった印象を受けました。
私はすぐ、ここに決めました。

数日後、あらためて不動産屋へ出向き、ダニエラと私は契約書にサインをしました。
持参した保証金(家賃2か月分)と不動産屋への仲介手数料(家賃1か月分)、それと11月分の管理費込みの家賃を手渡しました。この保証金は、家を引き払う時に返してもらえることになっています。

それから、私は10月の残り2週間、学校をお休みして小旅行に出ることにしました。
学校には、2週間後にアパートに引っ越すことを打ち明けました。
大家のよそよそしい態度で、すぐそのことが彼の耳にも入ったことがなんとなくわかりました。

2週間の小旅行から帰ってきて、10月最後の土曜日、私は引っ越しました。
大家のダニエラとその娘モニカがやってきて、車で荷物を運ぶのを手伝ってくれました。
共同アパートの大家は、自室に閉じこもって、挨拶にも出てきませんでした。
小旅行で買ったお土産を部屋に残し、私はリヴォルノ暮らし最初の部屋を去りました。

生活に必要なこまごまとしたものは、引越しの日にダニエラがいろいろと運んできてくれました。
食器や料理器具、アイロン、ぱりぱりに糊の利いたベッドシーツや枕カバーに至るまで・・・
おかげで引越ししてきたその日から快適なひとり暮らしを始めることができました。

それにしても、イタリアの引越しのなんと身軽なこと。
イタリアでは賃貸で家を借りる場合、家具付きが普通です。その家にあった家具が最初からちゃんと備えつけられています。私のような短期滞在者には本当にありがたいシステムです。

私は働き始めてからこれまで、日本で5回もの引越しを繰り返してきました。その度に使うお金と労力にはうんざりしましたが、とりわけイタリアへ渡る前に住んでいた家を引き払うときは大変でした。結局、増えに増えつづけ所帯持ちと間違われてもおかしくないほどのたくさんの荷物を、10トントラックで実家の離れに運び、押し込みました。
日本にもこのような賃貸マンションがあれば苦労はしなかったのにと思ってしまいます。

引越しをした日に3つの鍵を受け取りました。
1つめは建物の1階正面玄関の鍵、そして2つめは、隣りに住むクラウディア達若いカップルの家と私の家との共同の玄関ドアの鍵。このドアの向こうにまた小さな廊下があって、その奥のドアを3つめの鍵で開けると、やっとそこが私の家でした。

建物の築年数は恐ろしく古いけれども、家の中は明るく、イタリアのどの家もそうであるように私の家もきれいにリフォームされていました。
天井の高いそれぞれの部屋には、それにふさわしく趣きのあるアンティーク調家具が置かれ、絵画が飾られていました。
大きくて高い窓からは、明るい日差しが差し込み、気持ちのいい家でした。
ダニエラはこの家をゆくゆくは娘のモニカにと思っているらしく、長く住み続けそうなイタリア人には家を貸したくなかったそうです。

こうして、やっと落ちつける場所を見つけ、私のイタリアでの「暮らし」が始まりました。(20/03/04)


住んでいた界隈にて・・・

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