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今夜の番組チェック

シンディー


シンディーと初めて会ったのは5月の終わり頃・・・。

あれは初夏の兆しを感じさせる、麗らかな土曜日の午後のことでした。
「今夜、誕生パーティーがあるんだけど、一緒に行かない?」と友人に誘われました。
その夜は別にこれといって予定もありませんでしたが、誕生パーティーと言われても私は全然その人を知りません。
そんなところに私なんかがお邪魔しても・・・と返事を濁していると、
「大丈夫、私もその人のことを知らないんだから」

「何にでも顔を出して交友関係を広げていくのが、イタリアでの生きていく術なのよ」

なんだかよく訳のわからない理論で諭され、何となく私はそのパーティーに行くことになりました。

夕方、私たち3人はフィレンツェへと車で向かいました。
車の中で、どんな人の誕生パーティーなのかという話になりました。
「生まれも育ちもニューヨークの明るいコ。
彼女、たしかお父さんがイタリア人でお母さんが韓国人だって言っていたわ。
名前はシンディー。今はフィレンツェで英語の教師をしている」
と聞きました。

私達は紙に書かれたシンディーの住所だけを頼りに、くねくねと車を走らせました。シンディーの家はフィレンツェを見下ろすことができる小高い丘の中腹にありました。

紙に書かれた住所に着くと、黒髪のひとりの女の子が私達を笑顔で迎えてくれました。
どこから見ても東洋人、まるで私と同じ日本人のような容姿を持つ健康的な女の子、それがシンディーでした。

「チャオ、いらっしゃい。今夜はゆっくりしていってね」
挨拶もそこそこに家の中に通されました。シンティーはここで一軒家を借りて、リーザというアメリカ人の女の子と一緒に住んでいました。
想像していたのとはまったく違ったシンディーのその面立ちに、私は少し戸惑っていました。彼女はとびっきり明るくて気さくな女の子でした。

それぞれゲストが家から料理を持って訪問する、料理の持ちより式のパーティーでした。
料理のない私達は、さっき来る道で立ち寄ったコープで買い込んだ食材を台所に運び、さっそく分担して料理を始めました。野菜を洗ったり、トマトをカットしたり、慣れない他人の台所であたふたしている私をシンディーはさりげなく気遣ってくれました。

庭ではパーティーの準備がほぼ整っていました。テーブルにはロウソクが灯されました。

「誕生日おめでとう、シンディー」

「今日は来てくれてありがとう」

料理のお皿を持って次々に現れる訪問客に、シンディーは忙しく応対しています。和やかな雰囲気の中、私たちは各々自己紹介をしたり、みんなが持ちよった料理をつまんだりして楽しく過ごしました。
私達の料理もテーブルに並び、いよいよバーべキューの準備が始まりました。
フィレンツェは「ビステッカ アラ フィオレンティーナ」でも有名。シンディーはステーキ用の肉と一緒に、タッパーに入った漬け置き肉も持ってきました。みんなの視線がタッパーに集まります。

「さあ、ビステッカと母直伝韓国風焼肉よ」

久しぶりに食べる韓国風焼肉のそれはそれはおいしいこと。
イタリア人達にも焼肉は大好評でした。
シンディーはみんなの喜ぶ顔をみて、とても満足げに見えました。

もうおなかいっぱいで食べられない、といったところで、誰かがつくってきたデザートが運ばれてきて、また食べます。これがまたおいしいのです。

誕生パーティー恒例の、ケーキの上に並べられたろうそくの火をひと息で吹き消すという儀式はしませんでしたが(そのころになると、もうみんなパーティーの趣旨を忘れていました)、替わりにいつのまにかサロンでマンボー大会が始まっていました。私はマンボー大会には参加しなかったものの、みんなの様子を見て、大笑い。
部屋の棚には写真がいくつか飾られていて、お母さんとならんで韓国の民族衣装チョゴリを着て微笑むシンディーの写真が特に印象的でした。

夜の宴は遅くまで続き、私は眠くなってきたので庭を少し歩いたりしました。
庭からはフィレンツェのほんのりとした夜景が遠くのほうに見えました。
足元には小さな蛍の光が舞っていました。
こうして私たちは長い長い土曜の夜を、食べたり笑ったりはしゃいだりして過ごしたのでした。

次の日の日曜日、シンディーはリヴォルノにやってきました。
リヴォルノ郊外の小さな町、海の美しいカスティリオンチェッロに、週末のための別荘を2ヶ月間借りることにしたのだといいました。

「せっかくだから、夜、また一緒に食事をしようよ」

シンディーは同居しているリーザと一緒に家の契約を済ませると、海でひと泳ぎし、真っ赤に日焼けした姿で現れました。
こうして、私たちはまた、夕食を共にしました。
潮のかおり漂う、海の近くのアットホームなレストランで、シーフード料理を食べました。

シンディーは
「フィレンツェに仕事がなかったら、ずっとここに住みたい」
と言って、週末の別荘をとても気に入っていた様子でした。

そもそも私をあのシンディーの誕生パーティーに誘ってくれた友人も、シンディーとは仕事で1度会ったことがあっただけで、最初はそれほどお互いに面識もなかった様子でした。
それが、あのパーティーをきっかけに、私たち仲間は、なんとなく週末に一緒に過ごすのが習慣となりました。

シンディーとリーザは金曜の仕事が終わるといつも、車で週末の別荘にやって来ました。
私たちは彼女達の家でおち合い、一緒に料理を作り、庭のテーブルで食事をしました。夜の風に吹かれながら食べる料理は本当においしかったのを覚えています。

週末はいつも一緒に海へ海水浴に出かけました。
よく日焼けたシンディーのビキニ姿は眩しく、その姿は今でもはっきりと目に焼きついています。
アメリカ育ちのシンディーは、太陽のように明るく、イタリア人のようによく喋りました。

シンディーが私にこう言ったことがありました。
「Caccolinaを見ていると、なんだかもうひとりの自分を見ているような気がする。
私は韓国へは行ったことがないけれど、小さな頃から母に韓国人の女性として厳しくしつけられてきたの。
だからCaccolinaの心がとてもわかるわ」

実はちょうどその頃、私はほんの少しイタリアに疲れていました。
イタリアに溶け込めば溶け込むほど、気の使い方とか考え方とか、最初の頃には気付かなかったちょっとしたことがやっぱり日本人のそれとは違っていて、それを説明するのもなんだか疲れてきたり、それでもいらぬところに気を使ってしまったり・・・。
そんな溜まっていた私の気疲れや疎外感を、シンディーはしっかり見抜いてさりげなく私を慰めてくれていたのでした。

「西洋人と東洋人がわかり合うってことは大変なことよ」
とも、よく言っていました。
イタリア人と結婚する時に、勘当され、祖国の家族との縁を切られてしまったシンディーのお母さん。
離婚してからは、アメリカで女手ひとつ子供たち3人を立派に育てあげたそうです。おそらく並大抵の苦労ではなかったはずです。それでも、母はいつも韓国の心を忘れたことはなかったと言います。きっとその心は、シンディーの心に引き継がれているのでしょう。西洋と東洋の心を持つ彼女の明るさの奥には、いつも人を思いやるやさしい心がありました。

「無理にイタリア人になろうとしなくてもいいのよ。Caccolinaは日本人なんだから。
CaccolinaはCaccolina。自信を持って」
私の目をじっと見つめて、シンディーはそう言ってくれました。

ある日、ニューヨークに住んでいるシンディーのお母さんが倒れたという知らせが入り、彼女はすぐにニューヨークに飛び、お母さんの手術に付き添いました。
お母さんの容態も案じられましたが、あれほどお母さんを尊敬し愛していた彼女の今の気持ちを想うと、なんだかやるせない思いでいっぱいになりました。

2週間後、シンディーはフィレンツェに戻ってきました。
私たちは空港まで彼女を迎えに行き、そのまま週末の別荘へと向かいました。
彼女を慰めるには、みんなで一緒に過ごすのがいちばんいいと思ったからです。

いつものようにみんなで料理を作って、庭でテーブルを囲みました。
思ったよりシンディーは元気で明るく、いつもと変わりないように見えました。

「それでお母さんはよくなったの?」

誰かがそう尋ねると、シンディーは首を横に振りました。

「母ね、癌なの。あと3ヶ月の命らしいわ。一応手術は成功だったんだけどね・・・」

一瞬、誰も言葉が出ませんでした。

唯一の肉親である母親の死の宣告を、いったいシンディーはどんな思いで聞いたのでしょう。

「でも母は長時間にも及んだ手術に耐え、よく頑張ったわ。さすが私の母親だけあるって思っちゃった」

シンディーは顔を上げ、にっこりとして、私達にそう言いました。

私は強くあろうと精一杯明るくふるまうシンディーを見て、なんだか複雑な思いでした。
私にも日本に両親がいます。父も母も元気でいてくれるからこそ、私はこうやってイタリアで好きなことをしていられる、そう思うと心からありがたいなあと思わずにはいられませんでした。

それからシンディーには会っていません。
何度か電話で話はしましたが、いつも明るく、私のことも心配してくれていました。
シンディーは、あれからフィレンツェとニューヨークを何度も行き来していたようでした。

週末の仲間からシンディーの姿が消えてしばらくした頃、みんなで久しぶりに、どこか山へでかけました。
その帰り道、車の中から真っ赤に燃える夕日が山に落ちていく様子を眺めている時、私はシンディーがお母さんの最後を看取るためニューヨークに帰ってしまったことを聞かされました。

雄大に赤くひろがる夕焼けは永遠なのに、この世はどうしてこんなにも無常で切ないのだろう・・・
私はそんなことを考えながら、この美しい夕焼けをしっかりと目に焼き付けていました。(10/04/04)



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